人は言葉で思考しているのか

最近あまり良い本に当たらなかったのですが、鈴木孝夫先生の本はホントにはずれがない。


この本も非常に興味深いテーマが多い。中でも色に関する話題は、それこそ本当に昔から気になっていたテーマです。例えば、日本でリンゴといえば赤だが、ヨーロッパではもっぱら緑。実際そんな色だから何じゃないのかというのは、まぁもっともなんですが、しかし太陽の色が日本では赤なのに対して、ヨーロッパでは黄色なのだという。なので、絵を描かせるとみんな赤や黄色で太陽を描くわけですが、おもしろいのはそもそも日中の太陽の色は赤でも黄色でもなくて、ふつう白に見えますから。ちょっと話それますが、人がモノの色を認識するのには、目で認識する以上に頭で考えているんだろうなぁと前から思ってました。特に子供に絵を描かせると(子供の頃、みんなの描いた絵を見ていると)、赤い太陽なんて見たことないはずなのに、太陽は真っ赤ですし、赤い炎なんて炎色反応でもおこらないと見られないのに、炎は真っ赤です。まぁ、これは余談。

それから、日本語に関する言及も非常におもしろい。日本語には同音で意味も似ているけど別という単語(硬い、堅い、固いとか)がたくさんありますが、欧米の言語ではむしろ共存することが許されないということがよく知られているらしい。「かたい」は意味によって hard/tough/tight などと使い分けられる。いわれてみると確かに。日本語がこれだけたくさんの意味を単一の音で区別するのは、表記法が必ずセットで想起されるからということだが、漢字が伝わる前はどうだったのだろうか。あるいは、識字率がこれほどあがったのは現代に入ってからの気もするんだがその辺どうなのだろう。あるいは、昔は同音の単語はこんなに多くなかったのだろうか。いろいろ気になりますね。