言語と文化と考え方と

夜中、研究室で先輩とソフトウェア設計に関してもにゃもにゃはなしをしていたら先生が入ってきました。WS でのスピーチどうしましょというはなし。

最初はアジアの言語と欧米の諸言語との違いが決定的に違うのかというはなしをしようかとか、そんな流れの話をしていたが、だんだんスピーチのはなしはどこかに消えて、言葉と考え方のはなしに。フランスで生活していたときに、フランス語は英語と語彙レベルで似ている部分が多いので、直ちに簡単な言い回しを覚えられるのだが、それに引っ張られて英語も簡単な言い回ししかしゃべれなくなるのだと。腹減ったとか、眠いとか。すると、困ったことに日常的にも、腹減ったとか眠いとか、そういうことしか考えられなくなって、論理的な思考ができなくなると。こういう体験してみたいよなぁ、っていうほど英語ができないよ。

しかし、言語が似ているからといって、考え方が似ているかというとそんなことはないと。フランス人は論理的で簡潔でよくまとまった思考を好み、イギリス人(やアメリカ人)は一つの題を徹底的に説明することを好む。なので、両者は相容れないところがあり、前者がはしょりやすい傾向にあり、逆に後者が冗長になりやすい傾向にあると。仏「なんじゃこのだらだらと無駄な論文は」、英「説明が足りなくて、何いってるかわからん」。アメリカ人が徹底的に売り込むところなど、商業的に成功しやすい原因が、この辺りの徹底的に売り込むところにあるとかなんとか。なるほどね。英語で書かれた本やそれを訳した本は、ムダに分厚く冗長でよむのがたるいと感じる。たしかに的を得てるかも。

日本人は、多角的な視点を好むが、決して論理的でないので、学問の分野で弱い。いろんなところからモノをみて、いろんな言及をするけど、よくよく聞くと何もいえてない。主張が薄い。それから、論理的な飛躍が大きい。だから、日本語で書いた論文をそのまま英語にすると、いろんな言及があるけど文がつながらなくなってしまうと。論文書くとき接続詞に困るのは、接続に困ってるんじゃなくて「接続してない」ことに困ってるのかもしれない。

そんなこんなで、1,2時間。そして、まさにこの先生の話こそが、「日本人的」だと感じたわけですね、という落ち。そして、終電で帰るワシ。